Permanent Vacation

これからもずっとつづけばいいのに

不安なこと

いまのプロジェクトの行く末 いまのプロジェクトが終った次のプロジェクト 1年後の仕事 この会社ダメになった次の仕事 この業種業界が結構しんどいけど他業種業界とか年齢がもうやばい 見た目以上にもう良い歳 60、70歳まで働くとか無理だろ。あと30年以上だ。 住宅ローン組むのそろそろ限界だけど焦っていま組んでいいのか そもそも住宅購入する必要あるのか 会社以外の収入を考えないと ぼくが死んだら奥さん一人で大丈夫かな 親が介護必要になったらどうするか 自分がいつか死ぬとき覚悟できているんだろうか

もういっそ消えてしまいたい

福岡出張いってきた

立ち上げ期間から三年ずっと所属していた案件の引き継ぎで福岡に出張してきた。
弊社内でも珍しく東京ー大阪ー福岡の遠隔地を結んでの運用案件。
今後は東京を外して大阪ー福岡で細々とやっていくことになった。

他人の褌で相撲をとるように他部署の企画に依存し、無理なことはしないをモットーにした緩く理想的な案件だった。

ぼくはそこの偉い方だったので、本当にぬくぬく過ごさせてもらった。
ぼくがさぼった分を吸収してくれたすべての方に感謝したい。

うわき

昨日数年ぶりにあの子に会った。
あの子は毎年誕生日に律儀にお祝いメールをくれる。
今年はそれが遅れてて「もう最後に会ってからしばらく経つしそろそろ縁が切れてしまうかな」とさびしくおもってたら、GW直前にメール来た。だもんで、GW中に会わない?ってことになって昨日会ってきた。
彼女を待っているとき、内面と反したあの華奢で幼い面影が失われているじゃないかという心配と、若干そうなっててほしいと期待もしていた。やっと片思いの呪縛が解かれることに対して。
心配も期待も裏切られてあの子は面影も変えず以前よりずっと綺麗になっていた。

適当にご飯して以前と同じようにあの子地元の街をぶらぶら散歩した。天気が良くて暑かった。
最初にご飯のときに昔あの子から相談受けてた人と付き合っていることを聞かされた。
必死に誤摩化そうとしたけど多分結構顔にショックが出てたかと。
その男は予想通りダメな生き方しててなんでこんな良い子ほどダメな奴に惹かれるのか…彼氏のダメエピソードと苦労話を聞いてそれに色々アドバイスしてるつもりだったけどやっぱただの嫉妬からの発言ばかりだってのはその場で気付いてた。
この子が高校生のとき「そんなのやめておれと付合おう」そういって泣かしたのがリフレインして。
あの子が手触れてきたとき奥さんのことが全く薄くなっていることを気付いたとき背筋が寒くなった。
これは浮気か。
自分が軽蔑してきた行為の筆頭。本人も相手も関係者全員を嫌な気持ちにして迷惑をかける許せない行為だと。

とりあえず昨日今日もあのこのことばっか考えちゃう。 また反省文になってしまった。

はんせいぶん

きょうおくさんをなかしてしまった。

おくさんがきづかずぼくの洋服をふんでいたのでかのじょの足首あたりをぺしぺしたたいた。
どうもぼくがねおきでひじょうにふきげんなかおにみえたこともあってつられておくさんがおこる。
こっちはこっちでじぶんのふくを踏んだままおこりだすおくさんにりふじんさをかんじる。
おたがいのいかりがちょうてんにたっするすこしまえにおくさんがふくを踏んでいることにきづいてひきさがる。
ぼくも服がふまれている状況がなくなったのでおさまる。
が、ねおきなのでふきげんなかおはかわらない。
おくさんはじぶんのひをみとめてしゃざいしてくれる。
ぼくはいいよいいよだいじょうぶといいながらもまだまだねむくてふきげんなかおがなおらない。 で、おくさんがなきだしちゃった。
「きみがそんなにおこることないからこわくなって…」
とりあえず涙ふいてあげてなんどかハグしておちつかせておくりだした。

ふだんつよきなひとだけどちゃんとあつかいをていねいにしてあげないとダメだな、と。

いじょう、はんせいぶんでした。

ベリヲタ

奥さんはアイドル好きだ。
ここ最近はBerryz工房にハマっている。
ファンはご存知のとおりBerryz工房は2015年3月3日をもって無期限活動休止となった。

奥さんは解散ライブにも行きそれを中継した番組を録画するためだけにスカパーに加入した。
フルタイムで仕事しながら休みごとにライブに行きスカパー加入手続きにいき時には地方遠征もいき 好きなことに対しての情熱の燃やし方は目を見張るものがある。

奥さんはアイドルの頑張ってる姿を見るとどんな困難もなんでもないと思えるのだそうだ。 10代の体力も経験もない子が数年で見違えるような成長をする。
ぼくはそれを大人に寄る搾取なんじゃないかと思ったりするんだが
奥さんはその批判も込みでファンであるらしい。

で、昨夜。 奥さんがスカパーで録画したその番組を見ながらうとうとしてしまっていた。
番組が終わったタイミングで「をいベリヲタぁ。終わってんぞ(我修院達也風)」と言って起こした。 奥さんはそれがすこぶるお気に召したようで何度も同じことを言わされた。 そして今朝出かけるときも「アレやってw」と。

「をいベリヲタぁ。急がねーと遅刻すっぞ(我修院達也風)」

上機嫌で仕事に出かけていきました。

ぼくは今日から新しい案件へ異動で正直鬱々としていたが 奥さんのその姿が頭がいっぱいで気付いたら今日が終わっていた。

新しい案件は薄氷の上を歩くようなスケジュールだとはっきりわかったけど 今日は奥さんの笑顔で救われました。

毎夜の夫婦のいとなみ

夜になると心が乱れる。明日が不安で堪らない。不安だと眠るのが怖い。

そんなときぼくは隣で寝る奥さんの手を握る。 奥さんは握り返して「大丈夫。不安なことはないよ」と言ってくれる。 本当に救われる。

これですぐに気分が落ち着く訳ではないし、 また明日も同じように不安に襲われるのだけど。

大丈夫。安心して。不安なことはないんだよ。
これまでも大丈夫だったじゃない?
会社にだって難しい人もいたけど同僚にだって認められて評価されてきたじゃない。
これからもきっと大丈夫だよ。

それに失敗しても悪い評価を受けてしまっても別にいいよ。
会社を辞めたっていいんだよ。
私たちも家族も親もみんな元気だし助けてくれる人ばかり。
借金もない貯金もある。

評価なんか気にしないで。これまでも気にしないでやってきたでしょ?
将来のキャリアとか、一年後の姿とか、そんなのわかんないよ。
目の前の仕事だけに一生懸命やればいいよ。
平気なんだよ。多少適当にやったって。

それより楽しいことを考えよう。
好きなゲームしよう。どうでしょう一気見しよう。
落語見に行こう。

笑って暮らして行こう

そう言いながら奥さんはそのまま寝てしまう。 ぼくは「ありがとう。おやすみ」て言って目だけ閉じる。

ぼくは結婚して本当に良かったと思ってる。 これまで自慢出来るような結果や成果や経歴なんかないんだけど 彼女を奥さんに出来たことは我ながら上出来だったと思ってる。

wktkする展開はない。 ここ最近そんな元気はないんだ。

ブログタイトルについて

1980年のジム=ジャームッシュの同名映画から。 意訳だけど、Permanent Vacation = 「終わらない休暇」かな。

パーマネント・バケーション - Wikipedia

同名でエアロスミスのアルバムがあるけどこっちは聴いたことない。

パーマネント・ヴァケイション - Wikipedia


映画自体は大学時代に一回見たきりであまり覚えてないが、タイトルが強烈に焼き付いている。

Permanent"パーマネント"というおばちゃんの髪型が浮かぶ慣れ親しんだ響きに「終わらない=永遠」という意味があるという発見と、ForeverやEternalといった流行曲の高尚で嘘くさいイメージとは違う緩めの「永遠」が感じ取れること、この言葉が好きになった。
ゲームの主人公の名前やアカウント名を取得する場合も一貫してこの言葉を使うと決めたことで一々名前で悩むことがなくなり、以降の人生で無駄な時間を節約することができるという実利までを齎してくれるまさに福音となった。
他人から「一番好きな言葉はなんですか?」と訪ねられれば「パーマネントです!」と即答するだろう。
その人は非常に困惑する。(意味不明。ボケにしたら返す突っ込み難しすぎ。パーマかけたいの?勝手にしろよ)と。
でもぼくはこの言葉を自信を持って好きだといえる。
「ずーっと」とか「(半)永遠」とか「たぶん終わらない」みたいな緩い永遠。ちょうど良い。


ただ映画の印象は薄いものだったのにそのタイトルに具体的なイメージがついたのは、それ以前に好きだった別の作品の影響がある。
映画の『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』『エーゲ海の天使』と、中村一義の『永遠なるもの』だ。

うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』は主人公達が学園祭の前日を永延と繰り返すといった内容でループものといわれるジャンルの作品。
エーゲ海の天使』はイタリア映画で、戦時中外界から隔離された島に取り残された兵士達が戦争も忘れ島民とのんびりとした日々を暮す作品。
また中村一義の『永遠なるもの』は歌詞がすごく好き。

愛が、全ての人達へ…。
あぁ、全てが人並みに…。あぁ、全てが幸せに…。
あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。
- 僕の人生はバラ色に変わったーっ!! -

これらの作品に共通した物を感じてそれに惹かれていたのだが、
「Permanent Vacation」という言葉がそれをしっかりと表現してくれたように感じた。

ForeverやEternalとは違う永遠。
ほとんどの「永遠」や「ずっと変わらないモノ」もいづれ終わってしまう。
それは自分の生活や人生が今後もずっと続くがかならず終わることに似ている。

ぼくは物心付いた頃から自分がいつか死んでしまうことに理不尽さを感じていた。
なぜ死ぬと決まっているのに生まれなければならないのか、と。
このどうしようもない理不尽さと折り合いを付け始めて、自分の命の終わりがすべての終わりではないことに救いを感じ始めたのが大学時代だったのだと思う。

そんなときだからこの言葉が強く残ってしまったのだろうと。


ブログタイトルをなににしようと考えたときにも真っ先に浮かびなんとなくしっくりきた。

日記の類いは終わりがあいまいだから。

「日記はそこで終わっていた…」というセリフがあるが果たして本当に終わっているのだろうか?
本人が死んだことを暗示してはいるのだろうが、死んでいるかははっきり分からずもし生きていたらまた書き始めることができよう。
ブログやTwitterFACEBOOKといったライフログは本人が死んだあとも残されたまま放置され公開され続けているアカウントがあるらしい。なかには残された家族が引き継いだり、ブログの終了を宣言してりしてる例もあるみたい。
昨年元同僚の同い年の女性が癌で亡くなった。彼女は休職後わずか三ヶ月で亡くなってしまった。
死後彼女の家族は彼女の仕事や交友関係を全く把握していなかったため、葬儀に誰を呼べばよいか分からなかった。その際彼女のTwitterを通じて数人に連絡ができ、そこから職場関係の人達に葬儀の連絡が行き葬儀当日は遺族の想像を遥かに越える人数が参列した。ぼくも。
ぼくは彼女からブロックされているためそのTwitterを読むことはできないが、他の人はいまも読むことができる。今後もずっと。

ライフログのタイトルとしてはPermanent"パーマネント"という緩い響きはちょうど良い気がした。


Vacationにはそこまで触れることもなかろうが、ぼくは本当に働くのが嫌いだ。
ずっと休みであればいいのにといつも感じて生きている。 Permanent Vacation。ぼくの欲求とだらしなさを良く表し救ってくれている言葉だと思う。

Permanent Vacation。おっさんの独り言のブログとなりますよ、と。